修了生の活躍

NAKASHIMA KANAKO

中島 佳那子

デザイナー

中島 佳那子(なかしま かなこ)さん

デザイン領域 2015年度修了

長崎県で幼少期を過ごし、子どものころから絵を描き始める。本學情報デザイン學科イラストレーションコース卒業。現在は、京都市內のデザイン事務所に就職し、ブックデザインの仕事に攜わる。將來的にはイラストを描く仕事を増やしていくことを目標に、勉強を続ける日々。

描いたものが、人にどう屆くか。
社會に共有できるイラストを。

なぜ、イラストレーションが好きなのだろう。自分の中に湧き起こった疑問と向き合うために大學院に進み、イラストと自分、イラストと社會の関わりを見つめてきました。実際の仕事も、経験しました。印象的だったのは、生まれ育った長崎の企業から、新しくできる施設に向けて絵を頼まれたことです。10數點ものイラストを額裝して展示する、初めての大きな仕事。先生方の手厚い支えが力になりました。私が研究したい內容と展示の內容が乖離しないように、言葉による整理を手助けしてくれたうえ、仕事を全うできるように、電話やメール、領収書などの実務面までサポートしていただきました。描き上げたのは、ただ空間に飾る絵ではなく、コンテクストを共有できる鑑賞者にとっては挿絵として機能し、長崎の情景を感じてもらえる絵。描いたものが人にどう屆くか。その大切さを學んだ2年間でした。

ゲームデザイナー

ヨルギウ?パノスさん

デザイン領域 2014年度修了

キプロス出身。幼少期から日本のアニメやゲームにふれて育つ。ロンドン蕓術大學を卒業後、文部科學省の試験に合格、奨學生として來日。修了後はゲーム制作會社の演出プランナーとして、「キングダムハーツシリーズ」などの制作に攜わっている。

入學前とは、別の自分に。
すべての経験が、ゲームの演出に生きている。

幼いころから、日本のアニメが大好きでした。自分でも絵を描くようになり、ロンドン蕓術大學に進學。そこであらためて、技術では日本が世界一だと感じて、より憧れが強くなりました。大學院では、葛飾北斎のラインワークを取り入れたキャラクターをシンプルな墨絵の世界に置いた作品を制作。キャラクターを際立たせながらも浮き過ぎた存在にならないよう、モーションや背景との関係性についても研究を深めていきました。さらに、テレコム?アニメーションフィルムの方との出會いをきっかけにアニメ塾に參加。ライン1本の意味を考えるような課題を1年間で40個クリアし、ラインワークが格段にレベルアップしました。學內でも様々なアーティストと交流し、発想を自由にしてもらいました。入學前とは、別の人間になった。そんな風に感じます。2年間のすべてが、今の仕事であるゲームの演出に生きています。

許 品祥

許 品祥

アーティスト

許 品祥(キョ ヒンショウ)さん

美術工蕓領域 2016年度修了

臺灣出身。大學で舞臺美術を専攻し、ステージデザイナーを経て京都へ。やなぎみわの演劇プロジェクトに參加。生と死の間の曖昧な狀態を現出させる「半死半生-寫真シリーズ」を修了展で発表し、同年、東京での個展も開催。現在は、臺灣で音楽?寫真の仕事をしながら次作の制作に取り組む。

誰かの答えは、私の答えではない。
自分を、貫き通す自由。

やなぎみわさんの作品に惹かれて、臺灣から京都に來ました。先生の演劇プロジェクトに參加し、小道具のデザインなどを手がける一方で、理論的なことも深めたいと考え、大學院に進みました。本學は現代美術に強いうえ、「現場」の多い大學です。世界レベルのアーティストが、いかに周りを巻き込み、作品をつくり上げていくか。自己を貫き通していく尋常ではないエネルギーを見せつけられました。私自身も他者に囚われることなく、自由な2年間を過ごしてきました。他人の答えは、自分の答えではありません。その意識が無ければ、學部5年生、6年生になってしまいます。毎日研究室に座って考えることそのものも、私の作品でした。生/死、精神/肉體といった二元論ではなく、そのどちらでもない狀態、真ん中の答えというものを探したい。今も、死とその周辺にあるものを見つめ続けています。

許 品祥

OKUBO SAYA

大久保 紗也

ペインター

大久保 紗也(おおくぼ さや) さん

美術工蕓領域 2016年度修了

福岡県出身。京都に自身のアトリエを構え活動中。「NEWSPACE」WAITINGROOM(東京)、「Japan Young Artist Exhibition」ujung gallery(ソウル)、「第4回CAF賞入賞作品展」など、展示実績を重ねる。 2018年2月には、WAITINGROOMにて個展「a doubtful reply」を開催。

ここを逃してはならない。修了展に賭けて、世界がひらけた。

本學は、社會との接點がとても多い大學院。他の大學と比べても、こんなにチャンスにあふれた環境はない。社會に出て、あらためてそう思います。臺北との交流展、HOP展、ARTZONEでのグループ展、SPURT展、修了展。短いスパンで次々と展示に追われ、常に負荷がかかっている2年間でした。外とのつながりを否が応でも感じる、緊張感のある毎日。印象に殘っているのは、やはり修了展です。自分の作品が売れた。ギャラリーと契約を結んだ。そんな話を先輩から聞いていました。「ここを逃してはならない。出ていかなければ」。3つの作品を出展し、すべて売れた日から、世界が変わりました。作品を買っていただいたコレクターさんのはからいでNYに滯在して制作できる機會をいただき、そこで描いた作品がCAF賞の白石賞を受賞。東京での個展や、コミッションワークなど、いくつもの縁が広がっています。

周 焱

周 焱

中國西北大學藝術學院アニメ學科専任講師

周 焱(シュウ イェン) さん

蕓術専攻(博士課程) 2009年度修了

1998年西安大學卒業。1999年に留學生として來日し、京都國際外國語センターで2年の語學學習を経た後、京都蕓術大學映像?舞臺蕓術學科映像コースに入學。同大學院へ進學し、蕓術研究科蕓術専攻で博士號(學術)を取得。現在は中國西北大學藝術學院の専任講師を務める。

京都で過ごした13年間は、人生の道標であり、かけがえのない寶物。

幼いころから日本のアニメを見て育ち、映畫やドラマにも夢中になり、日本で映像を學びたいと思うようになりました。學部で映像理論などを學び、修士?博士課程に進學。論文の執筆はとても苦労しました。博士論文では12萬字も書かなければいけません。日本語を書くことにまだ不慣れでしたし、內容も過去にはない新しい発見が求められます。乗り切れたのは先生方のお陰です。北小路隆志先生から的確なご指摘をいただき、客員教授の羽生清先生には研究に対する真摯な姿勢を教えられました。學部生のときよりも先生方と深く関わり、その情熱にふれることで、研究への高い意欲を持ち続けられました。博士論文をもとに2016年に日本で出版した書籍が『チャン?イーモウの世界』。京都で學んだことの集大成です。帰國した今は講師を務め、知識だけでなく、情熱を伝えられる指導者をめざしています。

和田 ながら

WADA NAGARA

和田 ながら

photo:前谷 開

演出家

和田 ながら さん

蕓術文化領域 2011年度修了

大學院に進學後、自身のプロデュースユニット「したため」を始動させ、演出家として活動を展開する。在籍中から「KYOTO EXPERIMENT(京都國際舞臺蕓術祭)」にスタッフとして関わり、現在は事務局員。2018年、こまばアゴラ演出家コンクールにおいて、観客賞を受賞。

大學院は、演出家としてのスタート地點。
自分を試すことで、大きな一歩を踏み出せた。

演出家になる。大學院に進學してすぐに、自分のプロデュースユニットを立ち上げ公演を行いました。自分の制作と真剣に向き合える、贅沢な環境。演出家としての能力を試すことができた2年間でした。演劇を一からつくり上げるにあたって、どんなテキストを扱い、どのように解釈して表現へつなげるのか。その上で、照明や音響、舞臺美術はどのように設定するのか。アイデアを練り、作品を立ち上げた経験は、演出家としての一歩を大きく後押ししてくれました。また、アーティストや寫真家など、他領域の人ともつながったことが、大きな財産。インディペンデントに活動していく中で、現在も彼/彼女らと一緒に作品づくりに取り組む機會に恵まれています。他者との出會いによって、どんな新しい表現が生まれていくのか。仲間とその可能性を模索しながら、ゴールを定めず、ゆっくりと前に進んでいきたいと思っています。

YAMABUKI MIDORI 山府木 碧

YAMABUKI MIDORI

山府木 碧

1907年(明治40年)建設の舊長崎英國領事館の職員住宅煉瓦建造物の保存修理工事を現地調査

漆器と深く向き合うことで、
研究員としての“軸”が生まれた。

東京文化財研究所 保存科學研究センター近代文化遺産研究室
研究補佐員

山府木 碧 さん

歴史遺産研究領域 2013年度修了

武蔵野美術大學在學時に文化財の保存修復に興味を持ち、卒業後に本大學の3年次に編入。漆器の塗膜斷面分析に取り組み、調査技法や研究員としての姿勢を身につける。現在は、東京文化財研究所の近代文化遺産研究室に所屬し、富岡製糸場や第二次世界大戦中に生産された國産戦闘機(飛燕)などの保存修復に関わる調査?研究に従事。

400年以上前の漆器から、
塗裝の技を読み解く。

関東の美術大學に通っていたころ、授業がきっかけで“文化財の保存修復”に興味を持ちました。進路に迷っていた私に、先生が修復家の方を紹介してくださり、その方に薦めていただいたのが、本學でした。私はまず、文化財研究の基礎を學ぶために大學への3年次編入を選びました。そして、漆工品の塗裝技術の調査において、第一人者として研究に取り組まれている岡田文男先生のゼミに參加。この先生のもとで、さらに研究を深めたいと考え、大學院へ進みました。漆器の塗膜の斷面から、顔料や塗膜の層構造を分析、観察し、その塗裝技術を読み解くことが私の研究テーマでした。研究の対象は、宋時代から明、清にかけての中國の漆器。大抵は3mm以下の小さな試料から観察用の標本をつくります。層構造がよく見えるように丁度良い位置まで手作業で削る必要があり、それには集中力と経験を要しました。そして、その研究を通して、私は多くのものを學ぶことができました。試料を一度見て終わりではなく、観察と考察を繰り返すことの大切さを、身をもって教わったのです。

観察と考察を繰り返すことで、
育まれた姿勢。

岡田先生の指導や、研究の姿にふれた私は、目の前の漆器と深く向き合うことを學びました。見て、考えて、見て、考えて、観察と考察を何度も繰り返すことで、最初は得られなかった発見や新しい視點が生まれるのです。そんな體験を重ねることで、ものを見る目が鍛えられ、粘り強く研究に臨む姿勢や、失敗を恐れず「何でもやってみよう」という好奇心を育むことができました。その経験は今、東京文化財研究所で研究員として働く私の土臺になっています。私が攜わっているのは、近代文化遺産の保存修復に関わる調査です。日本の近代化を擔ってきた文化遺産の保存修復のための情報収集?技術や材料の調査を行っています。対象物は違っても、ものと向き合う姿勢は同じ。私にとってこの大學院は、研究者としての軸を與えてくれた場所です。

HIGASHIDA MIYUKI 東田 幸

HIGASHIDA MIYUKI

東田 幸

偶然を利用して「痕跡」をつくり出す。作者の主観を飛び越え、線の奇跡が生まれる動きは、蟲や生き物の戸惑いのような動きのようにも見える。
その過程そのものが作品になる。

アートを、仕事にする。
10年前になかった選択肢を、持たせてくれた。

アーティスト

東田 幸 さん

総合造形領域 2016年度修了

京都蕓術大學卒業。公立學校の先生から、本大學院へ。在學中から學內外のギャラリーで発表を行い、奨學金を活用したプロジェクトでは、教室を1ヵ月借り切って大掛かりな公開制作を手がける。2016年度の大學院修了展で、大學院賞、同窓會特別賞を受賞。修了後は、アトリエをシェアしながら活動をスタート。

“教える”人から、
“つくる”人へ戻りたい。

私は10年間、學校の教員を務めていました。研修の一環で久しぶりに母校を訪れ、「いいな」と思ったのが最初の衝動です。校舎も増築され、総合造形という領域やウルトラファクトリーができ、現役作家と直結したゼミ活動が生まれていた。以前と違う魅力を感じ“教える”から“つくる”へ戻る決意をしました。この大學院は、実踐を評価するところ。入って間もなく、大學が運営するARTZONEでの公開制作やグループ展に參加する機會を與えられました。作品や制作プロセスを通し、今まさに活動を見て欲しい人や會話したい人との交流は、作家としての実踐に向けた濃厚な経験でした。HOP展、SPURT展、修了展など、わずか2年の間に、そんな機會が數多くありました。月曜特論やPr PROJECTSでは、學外からのゲストも多く、領域の枠を超え充実していましたし、私たち院生の研究室も丁寧にまわってくださいました。制作途中の段階や作品構想についても話す機會が多く、もしそこで考えが変わってもまたすぐに次の可能性を探っていけるようなスピード感がありました。

作品の制作過程そのものが、
作品になるという発見。

Pr PROJECTSに使われているプロジェクトルームを1週間借り、オープンスタジオとして制作を行ったこともあります。色々な方が制作の様子を見に來て、そこから有機的な會話が生まれることが新鮮で、學內の奨學金を活用して、さらにスケールアップした公開制作にも取り組みました。制作のプロセスそのものが作品になり得るのだという発見が、その後の修了制作につながっていきます。さらに、その修了展を機に、仕事としてインスタレーション作品を手がけるチャンスも生まれました。10年前には見えてこなかった、アートを仕事にするという選択肢を、大學院の2年間では「その可能性がある」ことに気づかせてくれた。春に修了を迎えた今、作家としてのスタートラインを見つけたと感じています。

KATSUKI MINA 香月 美菜

KATSUKI MINA

香月 美菜

From one stroke

作家として、生きていくために。
自発的に挑戦していける環境。

From one stroke

アーティスト

香月 美菜 さん

ペインティング領域(油畫) 2016年度修了

九州産業大學蕓術學部洋畫コースを卒業後、京都蕓術大學大學院修士課程 蕓術表現専攻 ペインティング領域に入學。2015年、東京都主催「トーキョーワンダーウォール」のTWW賞受賞を契機に、アーティストとしての活動をスタート。継続的に発表を続けている。

関東の蕓術大學に対抗する
勢いを感じられた。

學部生のころは、九州産業大學の蕓術學部で學んでいました。卒業が迫り、大學院に行くことを考えたとき、活躍されていた先輩方に進路を相談しました。有名な関東の蕓術系大學院の名前も挙がりましたが、中でも本學が気になりました。聞こえ高い関東の大學院に、対抗するぞという雰囲気が感じられたのです。変化を怖れず、伸びていくんだという勢いを感じました。その勢いに乗れば、自分の制作をもっと追求できるかもしれない。そう考えて、この大學院を選びました。

作家として生きるためのさまざまな契機。

思い出深い経験は、宮島達男元副學長が企畫された「サマーキャンプ」です。日本全國の蕓術?美術大學から1名ずつ院生を集め、交流とプレゼンテーション審査を経て、グランプリを決定するものです。殘念ながら、ここでは選ばれませんでした。ただ、この大學院には、こういったチャンスがたくさんあります。アーティストだけでなくキュレーターやコレクターとの接點も持つことができるため、作品を発表したいという想いがあれば、イベントや展覧會への道筋があるのです。そんな中、「トーキョーワンダーウォール」で受賞したことが、私のひとつの契機となりました。

作家にとって必要な、
孤獨と挑戦の中に身を置く。

京都は小さな街で、望めばいくらでも孤獨になれます。作家にとって、一人きりで自分と向き合う時間はとても大切なものです。私が自分の作風を固めることができたのも、京都という街の靜けさがあったから。また、ここでは自分から動かなければ情報は入ってきません。自分の夢や目標を葉えるためにできることを考え、自分から動いていく腳力を身につけられました。先生方に教えをいただきながら、自発的に挑戦していける環境。それが、この大學院の魅力だと思います。

KATSUKI MINA チェン レイチェル

チェン レイチェル

今までに出版された絵本は、2冊とも「町」に関わるもの。観光的なイメージではなく、自分自身が感じた町を読者に伝えることを目指し、描かれている。

2冊の絵本を出版。
自分が感じた「町」を、物語に。

イラストレーター?絵本作家

チェン レイチェル さん

ビジュアルクリエーション領域 2015年度修了

2010年、臺灣國立政治大學の広告學科を卒業。臺北の地域新聞の取材?編集や、マスコミ評論雑誌のアートデザインを経験した後、京都に留學。本大學院を修了して臺灣に帰國し、およそ1年の間に『チーロウのいちにち』(長腳的房子)と『色をみつけよう』(尋找顏色)という2冊の絵本を出版。

絵のスキルだけでなく、
思考力を高めるために。

私は、絵を描くことが好きです。そして、絵を描くという行為を、興味の延長で終わらせず、絵を通して自分の考えを他の人に伝えたいと考えています。そのためには絵のスキルを高めることに加えて、“思考力”を高めることが重要だと考え、大學院に進學しました。もうひとつ、大學院に進んだ理由は、絵本を學ぶことでした。キャンパス內にこども図書館があり、絵本の蔵書數が多いこと、絵本研究を専門としている先生がいらっしゃることが、本學を選んだ決め手になりました。この大學院の魅力は“山”と“先生”。自然がすぐそばにあり、指導教授は私がやりたいことを自由にやらせてくれて、のびのびと制作に打ち込める2年間でした。その一方で、先生たちは、制作で壁に突き當たったときは必ず応援してくれ、私は絵を描くことに対してようやく自信を持てるようになりました。

本の持つ可能性に気づかせてくれた、
特別講義。

國內外のアーティストやデザイナーを招いた特別講義も、私の視野を広げてくれました。中でも印象に殘っているのが、雑誌「WERK」のアートディレクターを務めているテセウス?チャン氏による講座です。彼は、雑誌をアート作品として捉え、獨特なブックデザインを通してコンセプトを表現しています。その作品にふれることで、本がメディアとしてさまざまな可能性を持つことが分かってきました。

2度の出版を経験。
絵本作家としての一歩を。

帰國してからは、臺灣の文化部から出版補助を受けて、學部で開講されている絵本作家の長谷川集平先生のゼミを聴講してつくった絵本『チーロウのいちにち』(長腳的房子)を出版。在學時、日本の方に臺灣の生活や文化を紹介するためにつくった作品です。この作品が評価され、2017年4月に2冊目の絵本『色をみつけよう』(尋找顏色)が出版されました。北海道の剣淵町から依頼を受けて、町の物語を描いたものです。これから私は、絵本作家として歩み、年に2冊を目標に絵本を出版していきたいと考えています。

GENDA RUI 源田 類

GENDA RUI

源田 類

ワークショップ?プログラム「ことばの輪郭」。○と△と□だけで想いを表現するなど、心の中で思っていることに言語ではない輪郭を與え、新しい価値を導き出す。

まわりに流されず、
自分だけが考えられることを、突き詰めた2年間。

デザイナー

源田 類 さん

デザイン領域 2012年度修了

京都蕓術大學情報デザイン學科卒業。在學時、広告代理店へのインターンシップを機に、京都広告賞への入選も果たす。修了後は、東京の広告代理店に就職。4年間ほど経験を積み、現在は有名スポーツブランドのデザイナーとして活躍しながら、修士時代からの研究テーマと向き合い続ける日々。

言葉では伝わらないものを、
伝えるための表現とは。

學部生のとき、大手広告代理店へのインターンシップや教職課程での実習を通して、言葉では伝わらないものがあることを実感しました。「言語を使わずに、考えていることや感情を表現する方法はないだろうか」。自分の中に芽生えたテーマに対して、仮説を立てて論文を書いてみたいと考えたことが、大學院に進學したきっかけです。指導教授に研究の仕方を一から教えていただきながら、いろいろな書籍にあたる中、ブルーノ?ムナーリの本に出會いました。彼は子どものための美術教育にも力を注ぎ、ワークショップ?プログラムをいくつも遺しています。自分の研究したいことに近いものを感じた私は、そのプログラムに自分なりの解釈を加え、現代にふさわしいものにつくり変えていきました。大學院では、グラフィック分野での専門的な指導を受けるほか、ソーシャルデザインのゼミにも參加。高知県の日曜市におけるテントの老朽化を解消するプロジェクトなど、デザインを通して社會の問題を見つめ、解決へと導いていく過程にふれることができました。

相手が本當にしたいことを、
正解へと導いていく。

広告代理店に就職してからも、言語に依らないコミュニケーションと向き合い、目の前のデザインに生かしてきました。たとえば、ある提案のとき、私は本物の印刷紙を使ってサンプルをつくり、紙の質感や手ざわり、匂いまでも伝えようとしました。クライアントの頭の中にある、言語では伝えきれないものに対して、五感を刺激することで、本當にその人がしたいことを正解へと導いていったのです。もし、私が大學院で學んでいなければ、ただ相手の言葉や、まわりのやり方に流されてものをつくるデザイナーになっていたかもしれません。大學院の2年間は、社會に出るうえで、決してブランクではありません。自分だけが考えられること、自分だけが生み出せるものを突き詰めた時間が、私の今をつくっています。

SUZUKI NAO 鈴木 那緒

SUZUKI NAO

鈴木 那緒

福島県富岡町の人々にアンケートをとり、數時間にわたって話に耳を傾け、一人ひとりの大切な風景を絵と手紙にしていった。

建築という箱から自由になって、
人と向き合っていく。

公務員

鈴木 那緒 さん

建築?ランドスケープデザイン領域 2014年度修了

武蔵野美術大學出身。大學院時代、被災地の人々との會話を通して、ハードとしての建築でできる支援から、ソフトの面からできる町づくりへの関心が深まる。現在は、研究のために通っていた福島県富岡町の町役場に勤務。復興や支援のために何が必要なのか、自ら考え発言する“もの言う職員”として奮闘する日々。

“建築の力でできる被災地支援”とは?

大學時代、“建築の力でできる被災地支援”というものに興味を持ち、「避難所用?紙の間仕切りシステム」や「新仮設住宅システム」で災害支援をされている坂茂先生の事務所にインターンシップとして通わせてもらいました。その事務所の方に、卒業後も被災地支援を続けたいのであればと薦めていただいたのが本學でした。キャンパス內に、坂先生が手がけた災害支援スタジオがあり、國內外に向けた支援活動が行われていたのです。私はそこで、災害が発生した際、被災地のために紙管の用意をしたり、地域の避難訓練で紙管の活用法をお伝えしたりする活動に攜わりました。その一方で、福島県富岡町へと何度も足を運びました。富岡町は、震災により放射線被害に遭われ、未だに帰還困難區域が多く殘る地域です。この町がどうやって復興を遂げていくのか。それが私の研究テーマでした。町の現狀を自分の目で見たかった私は、町役場に直接連絡をとってインターンシップを申し込み、現地の方々のお話を聞く中で、被災地へのイメージが変わっていきました。

一人ひとりの大切な風景を、
手紙として殘す。

それまで私は、“箱もの”としての建築から被災地支援を考えていました。しかし、もし町の避難指示が解除されて新しいスーパーや病院や住宅が建ったとしても、みんなは「帰らない」というのです。自分の大切なものが元通りにならなければ帰らないと。そこで私は、「あなたの一番大切だった風景は何ですか」と取材を重ねていきました。そのころ、大學院のある先生が、私のしていることや風景を殘すことの意味を、とても大切なことだと評価してくださいました。また別の先生は、そこに寫っている物や色を分析し“風景の統計”をとってみてはとアドバイスをくださいました。そこから、一人ひとりの大切な風景を手紙にする活動が生まれていったのです。建築の領域だから設計をしなさいとは言わず、研究を進める勇気や新しい視點を與えてくださった先生方。この大學院に來ていなかったら、私は箱の中だけで物事を考える人になっていたかもしれません。

SUZUKI NAO 小林 野々子

KOBAYASHI NONOKO

小林 野々子

たくさんの寄り道が、
言葉との向き合い方を、自由にしてくれた。

會社員

小林 野々子 さん

文蕓表現領域 2015年度修了

京都蕓術大學卒業。中學生のころ、映像関係の仕事をしていた父親のご縁から腳本家の故?市川森一氏に出會う。市川氏に書いたものを評価され、腳本の指導を受けながら舞臺に打ち込み、スリランカで公演を果たしたことも。同氏の薦めにより京都蕓術大學に入學。現在は、企業に務めながら執筆に取り組む。

同じ主題と向き合い続け、
読み手の気持ちに近づく。

自分一人で言葉を生み出すのではなく、私はこの大學院で、たくさんの寄り道をさせてもらいました。そもそも大學院に進むきっかけになったのが、學部4年生のとき、當時在籍されていた辻仁成先生からの「演出にまわらないか」という一言でした。それから毎年、辻仁成クラス朗読劇「待つ」の演出?腳本を手がけるようになります。學部のゼミ生がそれぞれに「待つ」というタイトルで書いた作品を一本の朗読劇にまとめ、公演を行うのです。ゼミ生の數はやがて30名ほどに増え、私一人のテーマへの解釈を拠り所にするのではなく、多様な考え方と向き合うようになりました。一人ひとりの作品を読み込んでいくと、書き手が思い描いている「待つ」と、実際に文に表れてきた「待つ」という現象に違いがあることが見えてきます。では、読み手が受けとる「待つ」とは、どこだろう。ひたすら読み、考えていきました。同じ主題と繰り返し向き合い続けたことで、さまざまな視點を自由に行き來し、読み手の気持ちもより深く見つめられるようになったと感じています。

ものの成り立ちの、
とても細やかなところを學べた。

朗読劇の公演では、學外の人にも協力を頼んで音楽やコンテンポラリーダンスを取り入れた表現に挑み、ひとつの作品をつくり上げるために必要なことを一つひとつ経験することができました。さらに、辻先生の舞臺でも、演出助手としてさまざまな仕事を任せていただきました。作品を支える多くの人の働き方や立場にふれ、ものの成り立ちのとても細やかなところを學べたことが、私の大きな財産になっています。さらに、大學院にある自分の機に戻ると、隣にはタイポグラフィや陶蕓、版畫に打ち込んでいる人がいる。みんなが違うことをしていて、その表現や研究が進む過程をすぐ橫で目にするのです。さまざまな人と創造の現場にふれ、多くの寄り道をさせてもらった経験が、これから私が書くものにつながっていくはずです。

IWAIZUMI KEI 巖泉 慧

IWAIZUMI KEI

巖泉 慧

diastrophism_αβ

“誰もやっていない”専門性こそが武器。
それが獨創性となり、新たなものが生まれる。

diastrophism_αβ

伝統畫材ラボ「PIGMENT」所長 京都蕓術大學 美術工蕓學科日本畫コース 非常勤講師

巖泉 慧 さん

蕓術研究科蕓術専攻 日本畫 2014年度修了

1986年生まれ。神奈川県出身。2006年、京都蕓術大學美術工蕓學科日本畫コースに入學。同大學院に進學し、博士號(蕓術)を取得。博士課程で開催した個展「滅びの裝い」で好評を博す。現在は同大學美術工蕓學科日本畫コースの非常勤講師と伝統畫材ラボ「PIGMENT」所長を務める。

研究の成果を教える経験と、
研究をさらに深める経験。

私の専門は、日本畫の技法と材料です。博士課程に進んだのは研究や制作を続けたかったことと、社會に出て自分が學んできたことを人に教えられるようになりたいという理由からです。博士號を取得すればその道に近づけると考えました。博士課程では、TA(ティーチング?アシスタント)として先生の授業を手伝いました。日本畫の材料である膠(にかわ)を特殊な方法で溶かすなど、私が研究してきたことを學部生たちに伝えました。実際の授業ですからプレッシャーもありますが、人に技術や知識を教える訓練になりました。一方で、自らの研究については、修士のときよりも専門的になります。そして、その研究を生かし、新たな日本畫の技法を盛り込んだ作品を制作しました。しかし、當初は否定的な評価を受け、そのまま続ける自信が持てませんでした。そんなとき、藤本由紀夫先生から「否定されるということは、誰もやっていないことだからチャンスだよ」という言葉をいただきました。それが救いになって新たな作品を完成させることができ、結果的には好意的な評価をいただくようになったのです。

博士課程の研究を突き詰め、
チャンスを摑んだ。

現在は、本學の日本畫コースの講師を務める一方、東京の伝統畫材ラボ「PIGMENT(ピグモン)」の所長をしています。このラボでは、伝統的なものから最新のものまで様々な畫材をそろえ、畫材の販売にとどまらず、伝統技法の講座などを開いて知識や技術も提供しています。私はここでも講師として、様々な人に珍しい日本畫の技法を教えています。振り返れば、日本畫の技法?材料を研究し作品を制作しながら人に教えるという學生のときからの目標が、現実のものになっています。チャンスを摑めたのは、博士課程で勇気づけられた“誰もやっていない”研究を突き詰めてきたからです。「PIGMENT」では、蕓術を核にして他業種と連攜する“誰もやっていない”試みにも挑もうとしています。

SOTA KOTAJIMA 三原 麻由

MIHARA MAYU

三原 麻由

スティーヴ?ラィヒの音楽ー中期以降の作品から見る特異性一

[修士課程學位審査公開口頭試問テーマ]
スティーヴ?ラィヒの音楽ー中期以降の作品から見る特異性一

音にこめられた感情を、丁寧に紐解く

スティーヴ?ライヒは、ミニマルミュージックの代表的な作曲家として知られていて、同じモチーフを何度も繰り返し、音の流れを生み出しています。中期以降、彼が扱う素材は、初期に比べて多様になっていきました。そこにどんな感情が込め られているのか、考え、音の意味を紐解いていきました。

 

一人の作曲家とじっくり向き合い、
考えを深める過程は、感動の連続だった。

學部2年生のとき、淺田彰先生の「音と蕓術」という授業で、スティーヴ?ライヒの「木片のための音楽」という曲に出會いました。音も演奏風景もすごくシンプルなのに、強く惹きつけられるものを感じて、その年の進級論文の題材にすることを決意。しかし、はじめは文獻を読んでもなかなか頭に入ってきませんでした。先生に相談すると、「まずは、自分がいちばん音楽を聴きなさい」というアドバイスをいただき、何度も曲を聴きこむうちに、自分でも驚くほど研究が楽しくなっていきました。「スティーヴ?ライヒの非ミニマリズム性」という卒業論文では、コース賞をいただくこともできました。スティーヴ?ライヒの音楽に出會えたことで自分の感受性が広がったような感覚があり、さらに研究を続けるために大學院へ進學。一人でじっくりと考える時間がふえたため、曲をさらに聴きこみ、発見をノートに書き留めていきました。ゼミを擔當していただいた先生は、私の発見をもとに考えを深めてくださって、さらに新しい発見を導き出してくださいました。「蕓術文化論特論」では、様々な領域で活躍するアーティストの作品や考え方にふれることができ、スティーヴ?ライヒが何を感じながら音をつくっていったのかを考えるうえで、大きな手がかりを與えてくれました。はじめは、ただの興味からはじまった研究が、自分の感性や考えが深まることで、さらに面白いものに感じられていく。そんな過程は感動の連続で、とても貴重な経験になりました。修了後は、ザ?シンフォニーホールに就職。スティーヴ?ライヒという作曲家に出會えたことで自分自身が豊かになれたように、素晴らしい作家や音楽との出會いを多くの人に広げていきたいと考えています。

ザ?シンフォニーホール勤務 三原 麻由 さん

蕓術文化研究 2015年度修了

SHINAGAWA RYO 品川 亮

SHINAGAWA RYO

品川 亮

渡月四季花木図

渡月四季花木図

今の日本人にしか、描けない絵を

一筆舌きという “単純化” によって描いた花は、中國から伝わった漢字をもとに“ひらがな"が生み出された過程や、達磨を祖とする禪宗から日本獨自の“わびさび"が生まれた過程 を象徴しています。日本の歴史のうえに成り立つ、今の日本人にしか描けない絵を描いていきたいです。

 

コピー用紙に描き続けた習作を“言語化”し、 畫家としての一歩を踏み出せた。

島根の美術館で出會った、石本正先生の牡丹の絵。寫真よりも生々しい力を感じ、自分も日本畫を描きたいという衝動が生まれました。石本 先生が教授をされていることを知り、本學へ進學を決めました。しかし、はじめの頃は、何を描いても「自分でなくても描けるのではないか」というもどかしさがありました。何か手がかりを摑もうと、平安から江戸後期にかけての様々な様式や技法を真似て、コピー用紙に習作を描き続けました。學部時代に描きためた、膨大なコピー用紙の束。「これを何かかたちにしなければ」という想いで、大學院への進學を決意しました。大學院では、技法を補う、あるいは技法と同等以上の武器となる“作品を言語化する” ことを學びました。中でも大きな転機となったのは、椿昇先生の言葉です。「君の絵は ‘‘抽象化"ではなく “単純化" だ。その意味がどういうことか考えてみなさい」。そこから、作品から言語を導き出し、その言語からまた作品を導き出すことを、自分で考えながら體得していきました。日本畫の山田伸先生からは、構図や技法についての具體的な指導を、文化財修復の山田真澄先生からは素材についてのアドバイスを、様々な先生から多くのことを學ばせてもらいました。さらに、先生方から仕事の話をいただき、プロとしての自覚と自信を養えたことは、大きな糧になっています。翠嵐ラグジュアリーコレクションホ テル京都の「渡月四季花木図』も、そんな仕事のひとつ。ホテルの方や、絵が掲戟された雑誌を見た方から新たな仕事をいただくなど、多くのご縁がつながりはじめています。大學院を修了してすぐに、20本ほどの仕事と海外での展示會を抱え、畫家としての活動に専念できていることに、感謝しています。

畫家 品川 亮 さん

ベインティング領域(日本面)2015年度修了

YAMATO MIO 大和 美緒

YAMATO MIO

大和 美緒

GUILD STACK

Repetition Red (dot)

揺らぎとして現れる、日々の変化

修了展に出展し、CAFS賞2015山口裕美賞もいただいた Repetition Red (dot)シリ ーズ。キャンバスの左上を起點に、一列ずつ點を置いていきます。何百、何千という點を、毎日置き続けることで、身體や感覚のわずかな変化、絵の具の粘度など、さまざまな要素が揺らぎとなり現れていきます。

 

常に、厳しさの中に身を置き、作品と、
作家としての自己を鍛え上げた2年間。

一生かけてできること、本當に面白いと思えることを探そう。そんな想いで、入學した私は、名和晃平先生のプロジェクトに參加したことをきっかけに、次第に現代美術への関心を強めていきました。4年生のとき、総合造形ゼミに參加し、領域を超えた制作の場を経験。しかし、まだ學校を出るには準備が整っていないという切実な感覚があり、アートと一緒に生きていく術を大學院で身につけたいと考えました。大學院では、先生と一緒に、作品のアウトプットの仕方を徹底的に突き詰めていきました。宮島達男先生や名和先生をはじめ、現役で活躍されている作家から、厳しくリアルな意見をいただき、ときに同じ目線で議論を交わしながら、作品を鍛え上げていく日々。現代美術に対して関心を抱いていることと、作家としてそれを體現することは、まったく違うベクトルなのだと実感しました。夢中で走り抜けた2年間。修了展間際に完成した作品を見て、名和先生が初めて褒めてくださったのを覚えています。修了展では、コマーシャルギャラリーの方がその作品を目に留めてくださり、その場で翌年のART STAGE SINGAPOREへの出展のお話をいただきました。そして、修了からおよそ1年の間に、シドニー、シンガポール、ロンドンでのアートフェアを経験。そこからまた、國際的なギャラリーとのつながりが生まれたり、作品から活動が広がっていくのを感じています。また、先生方は、私が作家としてのスタンスを形づくるうえで、多くの重要な言葉を與えてくれました。特に、淺田彰先生の「安易な自己満足、ナイーブな「私の夢」ではなく殘酷な現実に、生ぬるい希望ではなくブリリアントな絶望に打ちのめされることを切望している」という言葉は、今の私を支える軸になっています。

アーティスト 大和 美緒 さん

総合造形領域(現代美術) 2015年度修了

CHIBA HINATA 千葉 陽

CHIBA HINATA

千葉 陽

Vintage alt +

Vintage alt +

初めて手がけた、原案スケッチ

最近新たなトレンドが生まれつつあるBARBER(理容室)に向けた、高級感のあるアンティーク調の椅子。タカラベルモントに入社して、初めて開発に攜わることができた商品です。分厚い紙の束ができるほど、何枚もスケッチを描き、原案ス ケッチを採用していただきました。

 

物を見極める眼、社會の問題を見つける視點が、プロダクトデザインの現場に生きている。

 新しい環境のもとで視野を広げるため、また、個性豊かで多様な分野の先生方のもとでデザインを學ぶために、姉妹校の東北蕓術工科大學から本大學院に進學しました。ソーシャル?ソリューション?デザインの研究として、“行為のデザイン”という本質的な考え方を學んだうえで、社會にある様々な課題を見つけ、それを解決するための実踐的なデザインに取り組みました。たとえば私は、水が原因で毎日6000人もの子どもが亡くなっているという問題に目を向け、水をレンズにして熱を集め、汚水を飲料水に変える蒸留裝置を考えました。リアリティを持った社會的課題の解決をゴールにしているという點で、一般的なプロダクトデザイン教育よりも、一つ先を行く経験を積むことができたと考えています。大學院では、個人の研究テーマを深めるだけでなく、會社に就職してから即戦力となる力を養うことができました。プロダクトデザイナーとして就職したタカラベルモント株式會社では、早い段階から案件を任せていただいています。大學院で身につけた、物の良し悪しを見極める審美眼、物が生み出されるプロセスの理解、さらには、資料を美しく仕上げるグラフィック能力、3次元CAD設計ソフトウェア「SOLIDWORKS」を駆使したモデリングスキルなどが大きな武器になっています。また、理美容のプロに選んでいただける操作性や快適性を追求するうえで、大學院で養った問題発見能力が役立っていくと考えています。タカラベルモントは、理美容機器の分野におけるリーディングカンパニーとして、ヘッドスパという新しいスタイルを提案するなど、業界の新しい流れを生み出している會社です。私も、物を通してその先にある新しい価値を提供できるデザイナーを目指したいと考えています。

タカラペルモント株式會社勤務

デザイン領域(プロダクトデザイン) 2014年度修了

キム ダンビ

Kim Tan-Pi

キム ダンビ

GUILD STACK

アンニョハツンガヨ?(お元気ですか?) 映像 12分32秒

國を越えて共感を呼ぶ、普遍的テーマ

修士課程1年生で參加したチェコ研修において、キムさんのアニメーション作品は、FAMU(國立蕓術アカデミー映畫學部)の先生方から高い評価を得ました。FAMUは、國際的に活躍するプロデューサーやアニメーション作家の方が多いことで知られています。高齢化や孤児の問題など、さまざまな國の人が共感できる普遍的かつ社會性のあるテーマを題材にした腳本が、高評価につながったようです。

 

自分を見つめ、社會を見つめて生まれた、
“見る人に質問をする” アニメーション。

自分で生き物をつくるかのような感覚に惹かれて、アニメーションの世界を目指すようになりました。本學のアニメとは一見何のつながりも無いような幅広い分野にふれられるところに、他の大學にはない魅力を感じました。學部時代には、漫才や三味線、料理など、いろいろな専門家が大學を訪れて、私の視野を広げてくれました。アニメーションの課題制作にも明け暮れました。とても充実した大學生活でしたが、卒業してこのまま社會に出るのではなく、きちんとした制作環境のもとで、もっと自分の作品をつくりたいという気持ちがありました。自分がなぜアニメーション作品をつくるのか、その理由を知りたいという思いもありました。
大學院に進んでからは、先生と一対一で話をする機會も増え、作品や自分自身について、じっくり考えを深めることができました。アニメーションだけでなく、社會で起こっている出來事や問題にも目を向ける習慣が身につきました。そして、自分の作品はただ楽しんでもらうものではなく、「見る人に質問をする作品」。つまり、見る人に何かを考えるきっかけを與える作品なのだという方向性が見えてきました。制作においては、大西宏志先生が一人ひとりに合わせた指導をされていて、私の場合、苦手としていた絵コンテの制作について、とても具體的なアドバイスをいただくことができました。さらに、監督として後輩たちの協力を得ながら制作に取り組むことで、プロ意識と責任感も養うことができました。この春、大學院を修了し、現在は韓國に帰國してWebマンガの制作の仕事などをはじめています。韓國では、アニメーションの市場が日本に比べるとまだ成熟していません。アニメーション作家として、自分たちの國の文化の発展にも貢獻していけるように、活動を広げていきたいです。

アニメーション作家 キム ダンビ さん

2014年度修了

TAKAHASI CHINATSU 高橋 知奈津

TAKAHASHI CHINATSU

高橋 知奈津

GUILD STACK
継承の中に含まれる、創造性

「作庭」への興味からはじまり、庭をつくるという行為や、その美しさを楽しみ、受け継ぐということに対して研究を重ねてきた高橋さん。遺跡整備の仕事においても、文化財をいかに現代の人に伝え、未來の人に受け継いでいくか、継承の仕方を考察することが求められます。そのプロセスのなかにも「創造性」が含まれており、高橋さんたちの働きによって文化財の“今”が形づくられています。

 

庭園と深く向き合えた2年間が、
文化財の“今”をつくる仕事に
つながっている。

大學時代は、東京で美學美術史を學んでいました。當初の興味の中心は現代アートでしたが、あるとき『作庭記』に出會い、日本の古い時代に庭づくりの中で育まれた美意識というものに興味を持ちました。そして、その美意識を理解するためには、作庭の技術やデザイン的な観點、歴史的な問題など、さまざまな複合的要素を知ったうえで読み解かなくてはならないと考えました。庭園に関する論文を調べていくうちに、庭園研究に攜わる仲隆裕先生と尼﨑博正先生の書かれたものに出會い、先生たちの存在に惹かれて進學することを決めました。
この大學院は、先生方との距離が非常に近く、漢文で書かれた平安時代の日記の読み方から、研究すべき資料の探索?選定の仕方、網羅的な資料の読み方など、細やかな指導をしていただきました。また、桂離宮や修學院離宮に足を運び、一般では入れないような場所で実習を行うなど、京都ならではの貴重な體験をしたことが印象強く殘っています。さらに、引率していただく先生ご自身が、常にその現場で興味の対象を見つけて楽しんでいらっしゃる様子を目にして、研究者としてこうありたいと感銘を受けました。
庭園研究を通して歴史や文化財への興味をさらに深めたことから、大學院修了後は、奈良文化財研究所に就職。はじめは、藤原宮や平城宮などの発掘調査に攜わりました。発掘調査は、考古學や歴史、建築などさまざまな分野の専門家が遺跡の解釈に関わっていて、私は庭園分野の一人として參加することができました。現在は、「遺跡整備」という仕事に攜わっています。どういうかたちで保存をすることが、その遺跡にとって幸せなのか。現在に受け継がれてきた歴史や伝統を、できるだけ良いかたちで未來へ伝えていけるよう、遺跡を取り巻く空間のあり方を模索する日々です。

奈良文化財研究所勤務 高橋 知奈津 さん

2007年度修了

SOTA KOTAJIMA 答島 惣太

KOTAJIMA SOTA

答島 惣太

GUILD STACK
言葉の壁を越えて、楽しめるものを

さまざまな職業の力を引き出し、自分の領土の発展を競うボードゲーム「GUILD STACK(ギルド?スタック)」。各職業の特性を活かしながら戦略を組み立てて、勝利を目指します。ドイツのボードゲーム見本市に出展し、會期中に完売。「ヒキダシトリック」という名前で作品を発表している答島さんのもとに、展示會後も口コミで國內外から注文がきているそうです。

自分の作品が、他の人に屆いた。
生まれて初めて、味わえた手応え。

修士課程2年生の秋、世界最大規模のボードゲーム見本市、ドイツの「エッセン?シュピール’13」に初めてつくったボードゲームを出展し、會期中に完売することができました。ドイツへの渡航費や出展費は、大學院の助成制度を利用して賄いました。ヨーロッパでは、ボードゲームをはじめとするアナログゲームが盛んで、成熟した市場があります。言葉の壁を越えて、できるだけたくさんの人に自分の作品を楽しんでもらいたいと考えている私にとって、海外でひとつの成果を出せたことは、大きな糧になりました。
大學院では、週に1度ほど、先生方とじっくり話す機會をいただき、その會話の中からアイデアがどんどん膨らんでいきました。特に、作品のコンセプトを練り上げる過程では中山和也先生、そのコンセプトをビジュアル化し、プロモーションしていく過程では佐藤博一先生から、たくさんの刺激や気づきをいただきました。こうした過程を経て生まれたボードゲーム「GUILDSTACK」は、自分の中で初めて「他の人に屆いたかな」という手応えを感じられる作品になりました。學部の4年間では、味わったことの無い感覚でした。
大學院修了後は、世界に向けてゲーム開発を行っている會社に就職し、企畫の仕事に攜わっています。ゲームづくりの現場は、學生時代と比べると求められるスピードもやらなければならないことの量もまったく違います。しかし、大學院のときに悩みながら取り組んだ「おもしろいと思うものを、みんなに楽しんでもらえる形に作り上げる」という経験は、確実に生きていると感じています。この取り組みの反復が、今の仕事とそのスピードや量に追いついていくために必要だと考えています。これから大學院に進むみなさんには、「失敗してもいいから、2年間これをやる」というくらいの気持ちで、テーマを決めて何かひとつのことをやりきる経験をしてほしいと思います。

プラチナゲームズ株式會社勤務 答島 惣太 さん

2013年度修了

資料請求 あたらしいパンフレットができました。

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